あなたに新しいメッセージ/いいねがあります。

『読書と豊かな人間性』を読む

こんにちは。松田ユリ子です。本稿は2026年3月15日(日)に立教大学で開催された公開シンポジウム「「読書と豊かな人間性」の授業内容と指導法の検討」での報告をもとにしています。

 私は「読書と豊かな人間性」の授業はたった1回代講で行ったことがあるだけです。ただ、司書課程の「児童サービス論」は2008年以降複数の大学で担当してきました。また、昨年度末退職するまでの42年間、神奈川県立高校の学校司書として「読書」について考え続けてきた経験があります。そうした背景を持つ者として本日はこの新しい教科書をどう受けとめたかについてお話しいたします。

 まず、どう読んだかをお話しします。同じ樹村房の司書教諭テキストシリーズから中村百合子編の改訂版『学校経営と学校図書館』が2022年に出版されており、私はこの科目の教科書として使っております。その「第11章 学校図書館の教育活動」の「1.『読み』の教育」の部分が概説だとすれば、今回の『読書と豊かな人間性』は、非常に多岐にわたる知見と2022年以降の動向にまつわる大幅なアップデートを加えた詳説あるいは投げかけへの応答だと思いました。これを三つのポイントで説明いたします。

 例えば、「読む」行為について検討がなされてきた「様々な学問領域を横断する視点も不可欠」という投げかけには、黒沢先生ご担当の大変興味深い各章で十全に応えています。

 また、最も本質的な投げかけはこのようなものです。「単なる読書の推進, 多読のすすめにとどまらず, また単なる読書材の準備と提供でもなく,『読み』と広くとらえる視点からの学校図書館の教育活動の工夫, 充実が求められている」(学校経営, P.149)この投げかけに丸ごと応答したのが今回の「読書と豊かな人間性」の教科書と言えると思います。

 『学校経営と学校図書館』の教科書において「『読み』の教育」という用語を使ったことについてはこのように説明されています。「図書を想定しがちな『読書』と呼ぶとあまりに限定的に聞こえ,(中略)広くとらえ直す視点から,『読み』とここではしているのである」(学校経営, p.146)

 『読書と豊かな人間性』では、「読書」を基本的に狭義に定義した上で、用語はそのままに学習者が「読書」の概念を広げて考えることができるように全編で試みられています。「読み」と言わずに「読書」そのものを広く捉えることを企図しているのだと考えます。これはある意味チャレンジですが、この科目でこそ必要なチャレンジではないでしょうか。

 一方で、従来の「読書教育」や「読書指導」のイメージではない教育的営みをゆるやかに「読書の導き」としている点が新しいです。「支援」としなかったことに「教育的」意味を込めたのだと読みました。

 次に、この視点があると更によかったと思う点を三つお話しします。

 一つ目は学校における「読書へのまなざし」です。第1章3節2項で日本における「読書へのまなざし」の歴史的変遷が描かれていますが、その中に学校におけるそれが明確には示されていません。しかし、読書推進政策の受容(建前)と読書へのネガティブなイメージ(本音)に引き裂かれた「読書へのまなざし」、教室や学校図書館で読書する子どもにレッテルを貼る空気、読書への興味を不用意に表出しないようにする子ども、これらのことは実際にいまだにあるのです。

 だからこそ、学校図書館の運営戦略の根幹としていまだにこれらが必須なのです。ネガティブイメージの「読書」と強固に結び付けられた学校図書館イメージをいかに払拭し、すべての生徒(と教職員)の生活インフラとして機能させるか。その上で、「読書」をいかに押し付けがましくなく魅力的なものと思ってもらえるようにするか。そうすることでようやく、学校図書館の最終的なミッションの一つである、それぞれの生徒の「選書の力を育む」方向に向かうことができます。

 二つ目は、読書する側の盲点です。昨年私が授業支援した地歴公民科の教諭に実践後インタビューした中で、印象に残ったこととしてこのような発言がありました。「まず自分の至らなかったところっていうのが、生徒がそんなに蔵書と親しんでないっていうのがあるので」「なんか大人とか特に先生たちなんかは当たり前にやることが、やっぱりそれって何かしら訓練とかしないと難しいこともあるんだなっていうのを気づいたのが、結構一番発見だったかもしれない。」 だから点検読書のような授業を最初に挟んだ方がいいですよという私のアドバイスを取り入れて実施したことを受けて、「そういう機会を1時間設けるだけでその経験を積めるなら、結構それは価値あることだよなって思いました。」と発言しています。初任の中堅校から異動してきたばかりの若手です。このように、読書する側は往々にして読書しない側の読書能力や読書興味の実態を知りませんし、なかなか気づきません。

 読書しない側にとっては、「読書」の前に本というメディアに触れる経験が必要なのです。そのための取り組みとして次のようなものを授業の中で行ってきました。リアル横暴編集長は「横暴編集長」というカードゲームをヒントにして考案したもので、図書館中の本のタイトルを上下で組み合わせて新しく作ったタイトルの面白さを競うものです。生徒が本のタイトルをくまなく見るということを企図しています。点検読書は、内容を読まずに自分の読みたい本を見つける方法と生徒に説明します。目次や奥付を見るなど読書する側なら自然とやっていることを、ワークシートを頼りに体験させるのです。ブックトークは、私が実演した後で、なるべく違う種類の3冊を3人グループで一人1冊ずつテーマに沿って紹介するというやり方で取り組んでいました。とにかく、これらはリテラシー教育というよりは、本メディアリテラシー教育とも言えるような導きです。

 三つ目は、二つ目とも関連しますが、リソースの少ない子ども、学習機会の少ない子ども、マイノリティーの子どもに焦点を当てた読書への導きです。合理的配慮が必要というほどでもないが読書しない層は大変ボリューミーだと思いますが、その層に焦点を当てた読書への導きは難しいにも関わらずあまり方策が議論されません。「主体的読書に導く各種メソッドの効果的な年齢」について、例えば「ビブリオバトル」は小学校高学年から高校まで効果的とされています。むしろ小学校中学校では成立するかもしれませんが、学力によって輪切りにされている高校の場合は学校によっては難しいのです。まず好きな本がなければなりません。ここが最も難しいのです。そして彼らに焦点を当てた読書への導きに必要なのは、まず司書教諭が生徒の興味を正当化し、コレクションに積極的に反映させることです。彼らが本当に興味のあるものを正当化すること。学校にそぐわないと切り捨てないこと。そういうものを含めたコレクションを構築することが何よりも必要です。

 とはいえ、私はこの教科書が大好きです。特に、教科書を批判的に読むことを促しているところが好きです。「それでも『読書』には読書の、何ものにも代えがたい大切な価値があると、あなたが自分のことばで言えるようになっているなら素晴らしい」(P.15) 泣けます。

質疑応答

Q1 小学校の学校司書のパートをしています。「学校図書館にそぐわない」は必要ない、とのことですが、私の勤務校の図書館には偉人の学習漫画・NHKのアニメ・サバイバルなどの理科をテーマにした漫画・流行りの芸能人が描いた低俗な絵本などが沢山あり、それを購入したのが過去の学校司書や、先生たちで本当に驚いています。

 また、子どもたちは、こういった本が大好きで、なかなか廃棄出来ずどう扱うべきか毎日モヤモヤしています。

 今日の講師の先生方は、このあたりの本に対してどの様に考えますか?学校図書館に置いてもいいと思いますか?

上記の質問への回答

 子どもたちが大好きな本をきちんとコレクションしてくださっていたこれまでの担当者のみなさまは素晴らしいですね。子どもたちのことをよく分かっている方々だということが見て取れます。

 学校司書としてまずすべきことは、自分が子どもに読ませたい本のことはまず傍に置いて、その学校の子どもたちのことを知ることから始めることです。

Q2 松田先生へ

 お話、大変共感しました。表面的には読書の価値を認めながら、読書に対するネガティブな感覚をもっている教員や生徒が多いことを日々感じています。

 しかし私は読書への導きを、やってもやらなくてもいいのではなく、やらねばならないことだと感じています。現場に任せるのでなく、学習指導要領に教科横断的に、そして国語科の中に読書教育、豊かに読めるようになる活動を取り入れて欲しいと思うのですが、松田さんはどうお考えですか。強制的に読書教育を行うのは、効果がないでしょうか。

上記の質問への回答

 もちろん私もやるべきことだと思っています。あらゆる手を使って読書の導きを行うことと、強制的に一律的に読ませることは違うことだと考えます。読書の導きはやれば必ず何かしらの効果は必ずあると確信するのですが、どの方法がどの子どもに向いているのかはやってみないとわからない点が難しいということではないでしょうか?

著者
松田ユリ子
公開日
更新日

関連記事

0
あなたの考えが大好きです、コメントしてください。x